男性の家事負担のあるべき姿
近年男性の家事負担に対する不平不満を目にする機会が多い。
その裏で男女平等という話がある。
条件はいろいろあるものの考えてみた。
夫婦で共働きで
子供がいない場合どう考えるか。
男女が平等であるならば収入比率と労働拘束時間で平等にするべきである。
収入に関係なく家事を半分にするべきだという人もいるかもしれないが、
そんなバカは相手にしたくないのが本音である。
男女平等で行くと言うなら後段で書くことになるが収入の少ないほうに合わせて
世帯収入を計算することになるが、それでも現状の夫婦間においては貯蓄等が共有財産と判断されるため多く働くほうがバカを見る。それでは平等ではないのである。
たとえば
A:年収400万 労働拘束時間12時間
B:年収300万 労働拘束時間10時間
とすると
(労働拘束時間は通勤等も含むと考えてAが通勤往復1時間、労働時間8時間で1時間昼休憩、2時間残業。Bが通勤往復1時間、労働時間8時間で1時間昼休憩、残業無とした。)
収入比率で考えれば
AのほうがBより 100万 / 700万 = 14.2% 分多いので
家事負担は
Bが14.2%多くするべきなのだ。
もしくは世帯における収入を両者の全額とせず、収入を均等化して
世帯収入600万円の生活をする場合においても
現行の夫婦間においては夫婦であった間に出来た財産は折半されるので
離婚の際には、Aのもつ余分の100万円分のうちの半分はBのものとされる。
この場合、Aにとって不平等となるため、
最低でもBは50万円分は多く家事をすべきとなる。
ただし、この100万は離婚しないなら、前提としてA個人のものであるので
Aが散財して全部使ってもBは文句が言えない。
となるとBにとって不平等となる。
そう考えると、やはり世帯年収全体で家事負担を決めた上で
いくら使って、いくら貯蓄するか、と考えたほうがお互いにとって良いと思われる。
さて次に労働拘束時間での配分も考えなくてはいけない。
これは家事は両者に平等に課せられると考えるならば
そこに一日の中で家事に掛ける時間も平等であるべきだろうと言う考えによるものだ。
さて先ほどの例で考えたときに
両者同等の睡眠等(食事・入浴等を含んで考える)を8時間とすると
A:一日24時間 - 労働拘束時間12時間 - 睡眠等8時間
= 家事可能時間4時間
B:一日24時間 - 労働拘束時間10時間 - 睡眠等8時間
= 家事可能時間6時間
となると
AとBが平等であるためにはどうしたらよいだろうか。
Aが4時間家事をしてBが6時間家事をすると
Bが一日の中で25%家事をしているのに対して
Aは16.6%しか家事をしていないことになる。
これではBが不平等にみえる。
逆に両者4時間ずつ家事をしてしまうと
Bに余暇、もしくは睡眠等の時間が多くなり
Aにとって不平等となる。
しかし、結果的に前者でよいのだ。
夫婦両方に労働と家事が平等に課せられるのだから
労働拘束時間+家事の時間が同じであれば平等だ。
ただし、これは家事 ”可能” 時間のことなので
家事の総量から考えると
Aは家事総量の40%をBは家事総量の60%を負担すればよい。
これらをまとめると
Aは
収入比率から 家事総量の 42.9% を
労働拘束時間から 家事総量の 40% となる。
またBは
収入比率から 家事総量の 57.1% を
労働拘束時間から 家事総量の 60% となる。
なので収入比率と労働拘束時間からの平均値を考えて
AとBの家事負担は
A : B = 41.45 : 58.55
こうなっていれば平等な家事負担となるのではないだろうか?
ここで割りと考えうる一般の状況を当てはめてみると
A:年収600万 労働拘束時間14時間(朝7時に出勤して夜9時に帰る)
B:年収120万 労働拘束時間8時間(近所でパート:時給800円20日間7時間弱労働)
こう考えた場合
年収比率 A : B = 16.7% : 83.3%
労働拘束時間 A : B = 2 : 8 = 20% : 80%
となり、家事の負担は
A : B = 18.35 : 81.65
となってくる。
なので旦那はこの程度なら週に朝と晩の14回の食事だけを考えれば
2.5回は準備から片づけまでを負担するべきなのだ。
洗濯も毎日するなら絶対に週1は洗濯から取り込み収納までしなければならない。
わけのわからない家事に対する単価や対価を考えたりするより
よっぽどわかりやすく旦那が家事をするべきことが良くわかる。
ちなみに、子供がいれば子育ても平等かと言えば
乳幼児の場合は7:3(個人的感覚)程度に
母でないと出来なかったり、母のほうがスムーズなことが多いので
その分の旦那の家事負担は増えると考えなくてはいけないと思う。
追記: 逆に子供のいない専業主婦はどう計算しようが100%やって当たり前。